文化人類学者を起用しはじめた米企業
人間社会や文化を研究対象とする学問に「文化人類学」があります。文化人類学者と聞くと「ニューギニア高地やアマゾンの奥地に出向き、先住民族の観察・研究をする人たち」といったビジネスとはおよそ関係が無いイメージが浮かぶ人もいることでしょう。
しかし、アメリカでは今、その文化人類学者が企業からひっぱりだこです。インテルやモトローラといったIT系の企業やホテルチェーンのマリオット・インターナショナル、そしてBBDOのような大手広告代理店に至るまで。
今回はその理由をいくつかの事例とともにご紹介します。
最新ヒット商品の陰に…
以下に挙げるのは、アメリカにおけるここ1~2年のヒット商品や話題のサービスです。
- MP3対応の携帯型衛星ラジオ「SIRIUS S50」(2005年10月発売)
- マリオット・ホテルの斬新なロビー・レイアウト(2006年)
- インテル社がインドの農村向けに開発した「コミュニティPC」(2006年3月)
- シティグループとマスターカードが共同開発した非接触型「ペイパス」(現在NY地下鉄で実証実験中)
- グラスファイバーの芯の上にゴムをかぶせたOXO社のハンマー(2005年10月)
これらの商品は、単なる市場調査に基づいて生まれた商品ではなく、文化人類学的視点から開発された商品であるという点で共通しています。
文化人類学的アプローチの肝は、一にも二にも「フィールドワーク(実地調査)」。長期間にわたり、消費者をただひたすら観察します。これが時には想像もつかなかった“発見”をもたらします。そうした発見を踏まえて新商品を開発したり、競争力を高めるのに役立てたりしようというわけです。
大ヒット携帯ラジオの開発に貢献
たとえば、「SIRIUS S50」のコンセプトを開発したのは、オレゴン州ポートランドを拠点とするZiba Designの文化人類学者チームです。依頼主は移動体向け衛星デジタル放送を本業とするシリウス・サテライトラジオ。業界トップのXMサテライトラジオに水をあけられていた同社は、自社の衛星ラジオ・コンテンツ用の携帯型ラジオを開発することで、なんとかこの差を縮めたいと考えていました。
ところが、単なる携帯型衛星ラジオだと、すでに2004年10月、競合のXMサテライトラジオが「MiFi」をローンチしたあとだし、勝ち目がない。さんざん悩んだあげぐ、シリウス・サテライトラジオが声をかけたのが、“Ziba”(ペルシャ語で美を意味する言葉)という変わった社名をもつこの小さなコンサルティング会社だったのです。小さいけれども、消費者理解をアイディアに結びつけるという点では全米でも定評があり、マイクロソフトやP&Gといった超大手メーカーもZiba Designの顧客リストに名を連ねているほどです。
シリウス・サテライトラジオからの依頼を受けたZiba Designはまず、文化人類学者やデザイナーなどから成るチームを編成し、4週間にわたっていくつかの都市をまわらせました。行く先々の都市で、潜在顧客と思われる消費者に目星をつけ、彼らが音楽をどのように聞いているのか、テレビをどのように楽しんでいるのか、雑誌をどのようにめくっているのか等々、徹底した「観察」をさせたのです。観察対象になった人の数は計45名にのぼったとのことです。
こうして、単なる携帯型衛星ラジオではなく、気に入った音楽を簡単に保存し、あとで再生できるといった機能をもたせることが新商品に求められている、ということが見えてきたそうです。
この提言を受け、2005年11月に発売されたのが「SIRIUS S50」です。薄型のタバコのパッケージ程度の携帯型衛星ラジオですが、最大50時間デジタルコンテンツを保存でき、あとから好きなときに楽しむことができるというすぐれものです。
最もよく聴く3局から番組を自動収集する「My SIRIUS Channels」、ボタンを押すだけで気に入った音楽やトークショーを保存できる「My SIRIUS Songs」、お気に入りの番組を予約録音するための「Scheduled Record」、記録したラジオ番組とMP3およびWMAライブラリを管理する「My Playlists」といった機能も備えたこの「SIRIUS S50」は、たちまちその年のクリスマス商戦でのヒット商品になり、いまだに売れ続けています。
他にも、米国ではIDEO、Jump Associates、Doblin Group、Ethnographic Insight Inc.など、「フィールドワーク」を売り物にしたコンサルティング会社が多数台頭してきています。
最初は従業員の生産性向上のため
実は、文化人類学者の起用は今に始まったことではありません。民族誌学を含む文化人類学や、その他の社会科学をビジネスに活用しようという動きは欧米では1930年代から見られます。
ただ当初は、自社の従業員の生産性をあげるためといった目的が主流を占めていました。
一例を挙げれば、会社から調査を委託された文化人類学者が社内の一角に陣取り、何週間ものあいだ、ひたすら社員の動きを観察する。そうすると、人間関係の力学や動線の無駄などが見えてくる。
それだったら、デスクやフロアのレイアウトをこう変えると効率が上がりますよというアドバイスができるといった具合です。
顧客への関心の高まりとともに街中へ
ところが、1960年代以降、経営陣の関心が従業員から顧客/消費者にシフトするのに伴い、文化人類学者が建物の中から街中に出るようになったのです。
フランスの例ですが、某コンサルティング会社に勤めるロベール・エプキュ氏から20年ほど前に聞いたエピソードを紹介します。
仏最大手百貨店のプランタンからフロアレイアウトのコンサルティングを依頼された彼は、実際にパリのデパートで何日間か人の流れを観察したところ、何かがおかしいということに気づいたそうです。
たしかに効率よく人が動けるよう各コーナーが整然と配置されているが、何かが欠けている。
エプキュはその答えをモロッコのメディナで発見しました。メディナはまるで迷路。スーク(市場)から狭い路地が幾筋にも分かれながら錯綜している。理論上は最も非効率的なレイアウトなのに、人々はそこでいかにも楽しそうに買物をしている。
「鍵はカオスにあったんですよ」とエプキュは教えてくれました。
ちなみに、彼の勤める会社の当時の社長は、結構カリスマ性のある社会学者だったそうです。
顧客自身には語れないことの存在
最後にもう一つ、レンタカー大手の「エイビス」の有名な事例も紹介しておきます。
同社は当初、顧客満足度を上げるため、アンケート調査の結果を踏まえ、クルマをきれいにしたり、対応のスピードを上げたり様々な取り組みを行っていました。しかし、業績や顧客満足度の向上には一向につながりません。
そこで90年代初頭、小型カメラで顧客の音声と行動を観察し、そのデータを文化人類学者らに分析させたのです。
なんと、レンタカーを借りる人が最も求めているのは「旅先でのストレスの軽減」だということが分かりました。彼らがひそかに抱えていたのは、「空港に間にあうだろうか」、「フライト状況はどうなっているのか」、「出張先でもビジネスをスムーズに処理できるだろうか」といった不安だったのです。
これを受けてエイビスは、出発ゲートの位置や離発着便の状況を掲示するビデオモニターを設置したほか、パソコン・FAX完備のビジネスセンターを開設。スタッフの対応も見直しました。
その結果、98年までに顧客満足度とロイヤルティで業界第1位となり、従業員定着率も9%上昇しました。同社は、顧客自身でさえ語れなかったことを実践し、成功を収めたのです。
* * *
さて、皆さんはどのようにお感じになったでしょうか。私はこの記事をまとめながら、文化人類学者的視点の重要性を再認識しました。今から大学に戻って文化人類学を勉強するのは残念ながら難しそうですが…
December 10, 2006 | Permalink
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