村上ファンドで世間を騒がせた村上世彰氏。子供の頃から頭の回転が速く、口が達者だったらしい。話し方も論理的で、大人びていたとか。もう2~3ヶ月も前のことだが、その村上世彰に関するテレビの特番をみていたら、小学校時代の同級生がこんなことを言っていた。
「『要するにやな―』が口癖だった」。英語だと、さしずめ“Simply put”といったところか。
小学生で「要するに」が口癖というのはたしかに珍しいが、若者と話をすると、「て言うか―」に次いでよく耳にするフレーズだ。とりたてて目くじらを立てるまでのこともないが、耳障りな日本語ではある。共に、己の利発さを暗に誇示し、相手より優位に立とうとする「こざかしい」心理が働いているケースが多いからだ。
すなわち、「要するに」は、その話題について自分はちゃんと把握しているとの意思表示だし、「て言うか―」は、お前より自分の方がよく理解しているんだぞと言うのに等しい。若者同士の会話ならばそれも許されるだろうが、理に先走るこの類の表現は、見る人からすれば、「こざかしさ」以外のなにものでもない。
実は私自身、昔は「こざかしさ」が服を着て歩いているような若者であった。いわゆる秀才によく見られる嫌なタイプだ。が、ある二つの出来事がその愚かしさを私に実感させてくれた。
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今から40年ほど前、ワケあって、駒場東大前駅の近くに人を訪ねたことがある。人呼んで「気違い坊主」 ― 要するに相当の変わり者である。「ワケあって」と言ったのは、この海童道(わたづみどう)の宗祖を名乗る謎の人物に直接会ってみたかったからだ。
海童道は、(虚無僧で知られる)禅の普化宗から独立した宗派だが、いわゆる「宗教」という既成概念には収まらない。本人も「自然法の哲理」の実践と称しているし、むしろ「道」と呼んだ方が正確だろう。その「道」を具現化するために使われるのが、竹に無造作に穴を開けた「法竹(ほっちく)」である。
その海童道のLPを買い求めて聞いたときの衝撃は凄まじいものがあった。そのレコードのジャケットにはたしか、「無でもなく有でもなく、そのいずれにもとらわれないで、同時にその両者でありながらも、それらを超えた境地に身をもって立つ」といった説明が載っていた。現代音楽の作曲家、武満徹の至玉の名品「ノーベンバー・ステップス」を演じた尺八奏者、横山勝也の師匠ということだけは知っていたが、海童道宗祖自身については秘密のベールに覆われていた。学生時代、津軽根笹派の名人について尺八の古典本曲を学んでいた自分としては無性に会ってみたくなった。当然であろう。
前置きが長くなったが、かくして詰襟姿の大学生と謎の宗祖との初対面とあいなった。緊張気味の若者をリラックスさせようと思ったのか、宗祖は「茶でもいれて進ぜよう」と鉄瓶に手を伸ばした。出てきたのは抹茶でもなければ、煎茶でもない。さゆ白湯である。茶葉が入っていないただのお湯だ。茶道を極めるとこうなるという。その白湯をいただきながら、繰り出される話は千変万化。風呂は水風呂、顔は亀の子タワシでごしごしこするのが一番身体にいいとか、わざ業と力は反比例するとか、真言宗から禅の道に進んでの山籠りと荒行、雑踏の中での座禅、はたまた息を吐くことの意味について等々、それだけで1冊の本が書けるほどだ。
ロジカル・シンキングに自信のあった学生は、目まぐるしく変化する話題にくらいつきながら、「それは○○ということですね」とか「要するに△△という意味ですね」と逐一合いの手を入れていた。そのときのことだ。「いちいち解説は無用! 君はただ『はい』と言うか、頷いておればよい」と一喝された。宗祖の目には、よほどこざかしい若者と写っていたに違いない。
今、思い返せば、自分でも冷や汗が出る。相手は学生ごときが頭で考えて理解できるような次元の話をしていたわけではないからだ。宗祖の家に上がりこんで小一時間も経った頃だろうか、音についてたずねると、無言のまま、さぁどうだと言わんばかりに「ぱーん」と手を打つ。その破裂音が40年経った今も耳の奥に残っている。
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この世の中には、この宇宙には、自分には理解できないことなど山ほどある。ロジックだけでは説明できないことの方がむしろ多い。そうしたものと対峙するとき、いかに我を捨て謙虚になれるか、そのことの大切さを痛感した。
「謙虚さ」はまたコミュニケーションをなりわい生業にする者にとって不可欠の姿勢だが、これに関するもう一つのエピソードは次回に譲ろう。
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