古ネタ第二弾。題して、「急がば回れ」
「スローフード」 ― どこか郷愁を感じさせる心地よい言葉だ。20年前にイタリアのブラという片田舎で産声をあげたスローフード運動は今や世界中に広まった。だいぶ遅れて上陸した日本でも、「スローフードのすすめ」といった新聞記事や雑誌特集がやけに目につく。
「スロー」という言葉のせいか、「ゆっくり食べればいいんでしょ」と早とちりしている人も多い。「ファーストフードがだめなの?」と肩を落としている若者も多い。だが、この「スローフード」、そんな単純は話ではない。「慌しさに追われて毎日を過ごしているあなた、ちょっと立ち止まって自分の生活を見直してみませんか」という呼びかけなのだ。その根底にあるのは、効率とスピード至上主義の道をこのまま突き進めば人類はだめになってしまう、という危機感である。現代の私たちに警鐘を鳴らしているともいえよう。
「スロー」で思い出すのが、手動タイプライターがまだ全盛だった1970年代前半、大変世話になったタイプライター修理の職人(仮にAさんと呼ぼう)のことだ。
ワープロやパソコンと違い、このタイプライターという代物、アーム、ヘッド、プラテン、キャリッジ等、無数の機械部品から成り立っている。ということは、時々油(グリス)を注す必要がある。ところが、これがなかなかに微妙な作業なのだ。多すぎても少なすぎてもいけない。経験の浅い職人だと、最初は調子がいいが、使っている内にすぐアームの動きが鈍くなってくる。
ところが、Aさんに注油してもらった直後はいつもアームがやや重たいのである。不思議に思ってたずねると、「使っている内に徐々に調子が出てくるようにしてあるから」とのこと。
たしかに、ひと月もするとキーボード操作が非常にやりやすくなる。ふた月もするとさらに滑らかになる。効き目を敢えて遅らせることで効き目を長持ちさせるのだそうな。ちなみにAさんは“名人”と呼ばれた親方に仕込まれた数少ない職人の一人である。
武道でも、効き目を敢えて遅らせる術がある。太極拳の奥義だ。要するに、身体のある部分に軽く拳を当てると、痛みは感じないが、数ヵ月後にはその内臓が機能障害を起こして死に至るという。これまた随分とこわい「スロー」である。
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