“PENTHOUSE”が雑誌とは限らないことを知ったのは、そのときだ。「そのとき」といっても30年近く前のことだから、「昔話」の部類に属する。そんな昔話を今頃になってブログに書こうと思ったのは、Abe Rosenthalの訃報に接したからだ。
当時NYT本社で研修を受けていた僕をAbe(エイブ)が自宅に招待してくれたのだ。たしか1977年のはずなので、エグゼクティブ・エディターに就任した翌年。飛ぶ鳥を落とす勢いのあった時期だし、エイブが帝王として君臨していた頃だ。
その自宅が、アッパー・イースト・サイドのpenthouse(最上階に作られる特別仕様の高級住戸)だったのだ。アッパー・イースト・サイドと言えば、19世紀末、上流階級の人が好んだボザール様式の豪邸が残り、付近の高級アパートの玄関にはドアマンが立ち、手入れされた庭は四季折々の花で色づく。そこに住む。それだけでステイタスなのである。
彼のペントハウスは、セントラルパークの東南の角から五番街を北に数ブロック歩いたところにあった。アッパー・イースト・サイドの中でも、セントラルパークに面した最高の立地である。ペントハウスだから当たり前だが、最上階の1フロアすべてが自宅である。少し照明を落とした廊下を歩くと、そう、ゆうに50畳はあろうかと思われるダイニングルームがある。壁面を飾っているのはエイブご自慢の篠田桃紅の書だ。
が、なによりも驚いたのは、招待客の顔ぶれの豪華さだ。全員の顔を覚えているわけではないが、僕の左に座ったのが、ウォルター・クロンカイト、右側はバーバラ・ウォルターズ。クロンカイトは1968年から81年までCBS Evening Newsのアンカーを務めたジャーナリズム界の伝説的スーパースター、かたやウォルターズは当時ABCの看板キャスター。そんな二人にはさまれての食事など喉を通ったものではない。むろん会話の内容などまったく覚えていない。完全にあがっていたのであろう。
食事のあとはダンス…。盆踊りの経験しかない日本男児には恐怖でしかないが、そんな窮地から僕を救ってくれたのは、エイブの(当時の)カミさんだ。おじけづく僕に近づき、“Shall we dance?” と言うやいなや僕の手をとった。カミさんといっても体格はプロレスラー並み。あとは揺れ動く大木にしがみつくセミのごとく…。そんな光景をエイブがうれしそうに見ていたのを覚えている。
文字通り「めくるめく」ダンスから解放された僕は、からだのほてりを冷ますため、グラス片手にベランダに出た。ベランダといってもパーティができるほどの広さだ。眼下には漆黒のセントラルパークの森が広がり、その向こうにそびえる摩天楼の明かりがなぜか心地よかった。
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