村上ファンドで世間を騒がせた村上世彰氏。子供の頃から頭の回転が速く、口が達者だったらしい。話し方も論理的で、大人びていたとか。もう2~3ヶ月も前のことだが、その村上世彰に関するテレビの特番をみていたら、小学校時代の同級生がこんなことを言っていた。
「『要するにやな―』が口癖だった」。英語だと、さしずめ“Simply put”といったところか。
小学生で「要するに」が口癖というのはたしかに珍しいが、若者と話をすると、「て言うか―」に次いでよく耳にするフレーズだ。とりたてて目くじらを立てるまでのこともないが、耳障りな日本語ではある。共に、己の利発さを暗に誇示し、相手より優位に立とうとする「こざかしい」心理が働いているケースが多いからだ。
すなわち、「要するに」は、その話題について自分はちゃんと把握しているとの意思表示だし、「て言うか―」は、お前より自分の方がよく理解しているんだぞと言うのに等しい。若者同士の会話ならばそれも許されるだろうが、理に先走るこの類の表現は、見る人からすれば、「こざかしさ」以外のなにものでもない。
実は私自身、昔は「こざかしさ」が服を着て歩いているような若者であった。いわゆる秀才によく見られる嫌なタイプだ。が、ある二つの出来事がその愚かしさを私に実感させてくれた。