古ネタ第三弾。手抜き編(?)の最終回である。
題して、「みんなちがって、みんないい」
「みんなちがって、みんないい」 ― 金子みすゞ(1903~30)の詩の一節だ。金子みすゞといえば、西條八十に絶賛されながらも26歳で自ら命を絶った童謡詩人。 こんなすてきな言葉があることを、映画『みすゞ』に主演した田中美里のインタビュー番組で知った。パニック障害の彼女はこの一節に勇気づけられたという。ちなみに番組司会者、長嶋一茂もパニック障害の経験があるとか。
だが、この言葉に注目したのは、パニック障害との絡みからではない。本業である異文化間コミュニケーションの本質がこの言葉に凝縮されているからだ。“異文化”といっても某語学学校のCMのように、外国人や宇宙人だけが異文化ではない。日本人同士でも実は一人ひとりが異文化を持っている。自分独自の“色”(true colors)を持っている。
このあたりのことは、僕の好きなシンディ・ローパーも、実にうまいことを言っている。1986年の大ヒット、TRUE COLORSからの一節を引用しておこう。
But I see your true colors
shining through.
I see your true colors
and that’s why I love you.
So don’t be afraid to let them show
your true colors.
True colors
are beautiful like a rainbow.
これは、男女の関係に限ったことではない。ビジネスの世界でもそうだ。相手の“色”を否定したり、自分の“色”を通そうとしたりすれば、それは押しつけでしかない。違いを違いとしてあるがままに認める。この姿勢がないとコミュニケーションは成り立たない。「認める」ということは、相手に「同意する」ことではない。ましてや「付和雷同する」ことでもない。違いを味わう懐の深さを持つということである。
「みんなちがって、みんないい」 ― この言葉に出会い、異文化間コミュニケーションの本質を、こんなにも平易に言い表す日本語があることを知った。久々の収穫である。みすゞの詩「星とたんぽぽ」も、そうした観点から読み直してみると、これまた異文化間コミュニケーションの一つの重要な真理を伝えているようにも思えてくる。
青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼に見えぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
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