A.M. Rosenthal* が亡くなった。5月10日。享年84歳。NYT(ニューヨークタイムズ)の元エグゼクティブ・エディターというより、米ジャーナリズム界の“巨星”と言った方がぴったりくる。
*紙面では「A.M. Rosenthal」と、苗字以外はイニシャルで通したが、本名は「Abraham Michael Rosenthal」。職場や友人からは「Abe(エイブ)」と呼ばれていた。
現地時間の14日、マンハッタンのシナゴーグで行われた葬儀には、CBSのニュース番組 “60 minutes”のマイク・ウォレス、ニュー・ジャーナリズムの旗手、ゲイ・タリーズ、ウォーターゲート事件のスクープや『大統領の陰謀』で世界的にも有名なカール・バーンスタイン、辛辣なコラムニストで元ニクソン大統領のスピーチ・ライター、ウィリアム・サファイヤーなど、ジャーナリズム界の大物が顔をそろえた。マスコミ関係者だけでなく、マイケル・ブルームバーグ、ラドルフ・ジュリアーニ、エドワード・コッチ、と三代にわたるニューヨーク市長が参列したほか、ノーベル平和賞作家のエリー・ウィーゼル、1970年代の名コロラトゥーラ・ソプラノ歌手、ベヴァリー・シルズも駆けつけた。
まさに、「巨星墜つ」…である。
彼はいわゆる“名門”の出ではない。たたき上げのジャーナリストだ。ベラルーシからの移民の子としてカナダで生まれ、その後、ニューヨークに移住。「家は貧しかった」、とかつて僕に語ったことがある。だから小学校から大学まですべて公立で通したとか。ちなみに、彼の通ったシティ・カレッジは授業料が無料だ。その大学の新聞The Campusの編集長になったのがきっかけでNYTのキャンパス・レポーターに採用されたのが1943年。その後、社会部を経、1954年からは約10年間、特派員としてインド、ポーランド、スイス、コンゴ、東京などから精力的に記事を送り続ける。ポーランド特派員時代には時の共産党政権から睨まれて国外追放となるが、反骨精神溢れたそのときの報道には後にピュリツァー賞が与えられた。
記者としての資質もすばらしいが、彼が真骨頂を発揮するのは1969年、編集長になってからだ。その後、17年間にわたり編集面における最高指揮官としてNYTの改革を推し進めた。というより、君臨した。それほど絶大な権力をふるったのである。社内では「帝王」と呼ばれて恐れられ、晩年は「リア王」にたとえられることもあった。だが、その“君臨”のおかげでNYTが名実共に「最高峰の新聞」へと飛躍的発展を遂げたことは事実だ。また、人間臭い魅力の持ち主でもあった。そのあたりのエピソードは次の機会に紹介しよう。
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